churaroom’s blog

日常感じている事時々意識のお話

飴と鞭と無視??

「スペインサッカーの指導は飴と無視」

 

友達のfacebookの投稿を眺めながら

 

「面白いなぁ〜」

 

って思いました。

 

 

日本はどちらかというと、

 

「飴と鞭」

 

がベースにあって、

 

 

飴だけを与えてはいけないという刷り込みがあるように感じます。

 

 

飴と鞭をうまく使い分けられるといいのですが、

 

残念ながら鞭だけを与える人も多い気がします。

 

 

ちょっと考えて欲しいのですが、

 

怒られるとどうなると思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の感覚では、

 

可能性が狭まって、

限定されるように感じるんですよね。

 

見えない壁に囲まれている感覚です。

 

 

さらに怒られ続けられると、

 

何が良くて、何がダメなのかの判断が自分で出来なくなり、

 

人の目を気にしながら行動してしまうようになります。

 

 

逆に飴を与えるとどうなるか?

 

 

褒められると人は

 

可能性をどんどん拡げていくように感じます。

 

 

もし可能であれば、

 

「○○したらダメ」

 

と、

 

「○○していいよ」

 

を心の中で呟いてみて、

自分の心がどう動くか観察してみてほしいですね。

 

 

では無視はどうでしょう??

 

 

中学時代の話ですが、

 

「モンゴル」という一風変わったアダ名の同級生がいまして、

 

 

他の友達がモンゴルというと

 

嫌がりながらも笑っていて、

弄られる雰囲気になるんですが、

 

何故か私が言うと

 

真顔になって怒るんですね。

 

 

それでも気にせず言っていると、

 

一ヶ月ぐらい無視されました苦笑

 

一ヶ月ですよ?

 

凄くないですか??

 

 

同じサッカー部なのに、

 

名前で呼んでも無視されるのはかなり答えましたね。

 

 

それからと言うもの、

 

反省しアダ名で呼ぶ事は無かったです。

 

 

 

私の感覚ですが、

 

怒る事と褒める事は

 

アクションに対する相手からのリアクションが返ってくるので完結しますが、

 

 

無視は

 

アクションに対する相手からのリアクションが返ってこないので、

 

 

自分の中でアクションとリアクションの繰り返し、

 

つまり自問自答をするようになると思います。

 

 

飴を与えても鞭を与えても、

はたまた無視をしても

どちらでも良いと思うのですが、

 

 

大切な事はその時の感情の流れに流されないで、

 

自分で決断する事と、

 

よーく

 

相手を観察する事です。

 

 

「あの人はいつも同じ事の繰り返し」

 

とイライラを感じている時は観察じゃなくて、

監視ですので注意しましょう!

 

 

また、

 

大人になればなるほど、

褒めることも、褒められる事も少なくなってくるように感じます。

 

きっと、

 

褒めるというのはどこか上から目線の感じがして、抵抗があるんだと私は思います。

 

 

なので、

 

そういう時は感謝を述べると良いですよ。

 

自分がされて嬉しかったことを恥ずかしがらずに直接いってあげると、

 

人はより勢力的に動いてくれますよ。

 

もし今何か相手に不満を感じているようでしたら、

 

観察して、感謝を述べてみてくださいね。