churaroom’s blog

日常感じている事時々意識のお話

何事にも感謝しましょうを実践して起きたこと

大学生の頃。

 

ひょんなきっかけから読んだ斎藤一人さんの本に書いてある

 

 「何事にも感謝しましょう!」

 

を、実践してみようと思いました。

 

本を読んだきっかけ

 

天職探しの旅へ

https://blog.hatena.ne.jp/churaroom/churaroom.hatenablog.com/edit?entry=13574176438017261823

 

 

何事にも感謝しましょうってなんだろう?

そもそも自分は感謝出来ているのだろうか?

 


自問自答しながら
一つ一つパズルのピースをはめていくように過去を思い返しながら照らし合わせて行く。

 

 

感謝は出来ている・・・
と、思う。


ただ、

 

  「何事にも」

 

というフレーズがどうしてもひっかかってしまう。

 

理由は両親の離婚だ。

私にはどうしても両親に感謝する事が出来なかった。

 

「どうしたら両親に感謝出来るだろうか?」


そう自問自答しても
感情が蓋をしていて、
なかなか答えは出てこない。

 

一度考えることを辞める。

 

考えることを辞めるといっても、
思考はずっと働いたままだった。

 

バイトしていても、
サッカーをしていても、
大学で講義を受けている時も、

 

思考はずっと働いていた。


するとある時車を運転している時に、
「フッ」と言葉がふってきた。

 

 「産んでくれたことじゃない?」

 

いきなりぶっ飛びすぎた言葉が出てきてビックリした!

でも、その瞬間に頭の中がクリーンになった。

 

産んでくれてありがとうか・・・
そこには確かに感謝出来るなぁ〜っと思った。

 

正直いって感情は蓋をしたままだった。

でも、そう思うように努めていた。

 


大学1年の冬にアルバイトを始めた。

バイト終わりにバイト仲間とご飯を食べに行く機会が増えた。

すると、
  
  どんなに酔っ払っても必ず帰ってきてご飯を作ってくれた親父に朝帰りが増えた。

 

「これは女だな」

 

そう悟って、特に親父に突っ込む事はしなかった。

 

小中学生の頃の自分だと、
裏切り行為に感じていた事が、
そう感じなかった。


 「親父には親父の人生がある」

 

そう捉えられたのは、

何事にも感謝しましょう!

という視点で見れたお陰かもしれない。

 

ただ、相手はわからなかった。
そのうち話してくるだろうと思っていた。

 


しかし、
なかなか話してくれないうちに
思いがけないタイミングで相手を知る事になる。

 


それは成人式の日だった。

 

ヤンキー達はピンク色の袴を着て張り切っていた。

 

私は慣れないスーツを着て、
仕付け糸を会場の父兄の人にとってもらっていた。

 


成人式が終わり正門に出ると親父と女性が立っていた。

意外と若く見える。

 

それもそうだ。
自分と4つしか違わないのだから…


事態が飲み込めてないまま、

その女性が先導して特に仲がいいわけではないヤンキー達と写真を撮った。


私は苦笑いしか出来なかった。

 


成人式後のパーティー会場に行く時、
親父に車で送ってもらった。

 

後部座席越しにみる親父の背中はなんだか小っ恥ずかしく見えた。


特に会話はなかった。

でも、
親父の事を受け入れられている自分がそこにいた。

 

色んな意味で大人になった気がする成人の日になった。

 


何事にも感謝しましょうという視点がなかったら、

きっと受け入れられてなかったと思う。

 

事にも感謝しましょうという視点がなかったら、
きっと受け入れられてなかったと思う。


もしかしたら、
ちゃんと親父に感謝出来ているのか宇宙に試されていたのかもしれない。


以上が何事にも感謝しましょうを実践して起きたことでした。