churaroom’s blog

日常感じている事時々意識のお話

被害者意識からの脱却

今年も早いもので後半年ですね。

 

5月末から我が家は子供が保育園から持ってきたであろう

菌に悩まされています。

 

 

小さいお子さんがいらっしゃる家庭であれば、

一度は経験すると思われる

家族の誰かしらが体調が優れない状態が続いております。

 

 

まずは子供の風邪を妻がうつされ、

妻が良くなったと思えば、

子供が熱を出して子守のために

仕事を休まないといけなり、

 

やっと二人が大丈夫になったと思ったら、

今度は自分が熱を出し、

 

自分の熱が良くなってきたら

今度は妻、子供共にノロにかかるという事態に陥っております苦笑

 

 

ここ2週間早退や休んだりなど

なかなか仕事もままならない状況にふと

 

「なんで自分だけこんなことが起きるのだろうか?」

 

と、被害者の気持ちになることもしばしば。

 

 

良くない事は続くもので、

こういった日常と違うことが続く時、

私は視点を変えて

 

「宇宙に試されているな」

 

と心の中で呟き、

そしてその視点で物事を見るようにしています。

 

 

すると不思議と被害者意識から脱却し、

今の状況や状態を客観的に見ることができます。

 

 

被害者意識の注意は

 

『過去』か『未来』に向いていて、

 

『今』に注意が向いていないことがあります。

 

例えば今回私が注意が向いていた事は、

 

「休んだせいで5月の売り上げが達成出来なかった」→過去

 

「6月の収入が減る」→未来

 

で、どちらもお金に対することの不安や不満でした。

 

 

注意が『今』に向くと、

 

「ゆっくりする時間が丁度欲しかった」→今

 

「仕事と家庭どっちを大事にするか試されているな」→今

 

と、被害者意識の時とは全く異なることを考えるようになりました!

 

 

これは私だけが出来ることではなく、

人間誰もが持っている能力です。

 

 

生きていれば

理不尽なこともありますし、

許せないことも起きますが、

 

被害者意識でいても何も面白くありませんよね?

 

 

もし共感頂けるなら

今すぐ視点を変えてみてはいかがでしょうか?

 

キーワードは

 

「宇宙に試されているな 」

 

です。

 

 

さぁ今すぐ自分の外に出て冒険しましょう!

コロナのせいでとお陰様

 

「今の状況って試されていると思うんですよね」

 

仕事中お客さんとの会話でふと出てきた言葉です。

 

 

コロナが流行り出して1年弱。

一向に止みそうにない感染状況に

 

「いつまでこんな状況が続くんだろうか?」

 

と不安になっていませんか??

 

 

不安が起きる要素はいくつかあると思いますが、

今回取り上げる不安の要素は

 

「先行きが見えない不安」

 

何も知らない土地に、

地図もないまま

不慣れな車の運転をすると不安になりませんか?

 

今の世の中の状況はそれに似ていると思います。

 

 

コロナが流行してきた頃は

殆どの方が経験したことのない状況に困惑し、

手探りをしながら生活をしていく。

 

 

1年が経つ頃にはどのように生活していけばいいか確立され、

後はウィルスに対処出来るワクチンが出来れば一安心・・・

そう考えている方も少なくないかと思いますが、

 

実際のところはどうでしょうか?

 

 

この先は現状に対する私の正直な意見を述べますが、

 

 

もしここまで読んでいて不安が強くなってしまったり、

不快な思いをしてしまっていたら、

この先は読まないことをオススメします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に進んでくれた方々。

ありがとうございます。

 

 

私の正直な意見を述べますね。

 

 

私はこのような状況が一生続くと思っています。

 

人間が進化するように、

ウィルスも生き延びるために

日々進化しております。

 

 

何年後か先にはインフルエンザと同じ立場になると思います。

 

因みにインフルエンザの始まりは1918年みたいですよ。

 

 

私が生まれる遥か前ですが、

まだインフルエンザは収束はしたものの無くなっていませんよね?

 

 

それなのに

コロナがここ数年で簡単に収束するとはとても思えません。

 

人工的に作った陰謀論でない限り、、、

 

 

ではどうしたらいいのか??

 

私たちの意識の進化速度を上げましょう笑

 

多くの人が

 

「コロナのせいで・・・」

 

と受け身になって被害者になっている反面

 

ごく一部の人は

 

「コロナのお陰で・・・」

 

と現状に対して前向きに捉えています。

 

 

冒頭の話にあったお客さんは、

 

「地球が断捨離している」

 

と話していました。

 

 

面白い視点ですね笑笑

 

 

因みにその方は最もダメージを受けているであろう飲食店を経営していて、

飲食業と福祉業を合わせて新しいことにチャレンジしていました。

 

 

物事を悲観的に捉えていては、

新しい視点に辿り着くのは難しいと思います。

 

この状況下で

 

「私に何が出来るのか?」

 

を考えてみるといいと思います。

 

コロナが収束した「後」の計画ではなく「今」に焦点を当ててくださいね。

 

 

その最初のステップとして、

 

コロナのせいで〇〇

 

と感じることと、

 

コロナのお陰様で〇〇

 

と感じることをそれぞれ5つほど上げてみてはいかがでしょうか?

 

ポイントは

 

コロナのせいで〇〇と感じることから始めることです。

 

 

このやり方は

 

コロナだけでなく、

対人関係の悩みなどにも有効です。

 

 

 ごく一部の人が感じている

 

 『お陰様』

 

が、大多数の人が思うようになった時

 

コロナが収束し、

収束しただけでなく、

 

地球にも優しい環境になっていると思います。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

正しさよりも誠実さを、間違いを指摘するよりも赦しを実践する。

心の平和が乱されている時、

心の中で争いがおきています。

 

例えば外出の際にマスクの着用がエチケット化している世の中で、

 

マスクを着用していない人を見かけると、

心のどこかで非難したくなりませんか?

 

 

私がマスクの着用を義務や常識ではなく、

エチケットといった理由は、

人それぞれ考え方が違うからです。

 

 

科学的根拠からマスクの重要性を問う人もいれば、

 

科学的根拠からマスクの不必要性を問う人もいます。

 

 

では何故みんなマスクしているのか?

 

それはきっと、

 

みんなマスクしているから笑

 

 

もしかしたら心の奥底では飛沫感染よりも、

 

マスクしてなくて周りから後ろ指さされる事を恐れているのかもしれない。 

 

 

一人で行動を起こしても

大海の一滴にしか影響を及ばさないものが、

 

集団になると

暗黙のルールを創り出す。

 

 

そう考えると集団って怖くないですか?

 

私は怖いです笑

 

 

 

ではなぜマスクを着用していない人を見かけると心のどこかで非難したくなると思いますか?

 

 

私が思うに、

心のどこかでマスクをしていない人に対して羨ましい気持ちがあると思います。

 

 

気遣い合う気持ちや他者に対する思いやりというのは私が生きていく上で大切にしている要素です。

 

ただコロナ前の私はマスクをする事は殆どなく、

むしろマスクをする事で病人の気持ちになって余計体調が悪くなると信じていました。

 

 

そういった経路から

マスクをする事に非常に抵抗があり、

日常的にマスクをするのを慣れるのに時間がかかりました。

 

なので、

SNSなどでマスクをしない事を主張してる人を見ると羨ましく感じます。

 

 

ただ!

気をつけないといけない事は、

羨ましいは気持ちは、

 

恨(うら)やましいに気持ちに変換される事があります。

 

恨(うら)やましい気持ちに変換された心は自分の行動の正しさを証明する事に注意が向いていきます。

 

 

「マスクをしてる人が正しくて、

マスクをしていない人は正しくない」

 

という非難の気持ちがわいてきます。

 

 

非難の気持ちの心の裏の裏では、

 

羨ましい気持ちと恨やましい気持ちが対立し葛藤が起きているように感じます。

 

 

そんな葛藤を終わらせたくはないですか?

 

そこでオススメするのが今回タイトルにある

 

「正しさよりも誠実さを、

間違いを指摘するよりも赦しを実践する」

 

ことです。

 

 

正しさと誠実さは似てるようで違うように私は感じています。

 

正しさはどちらかというと一般的なルールを主張し、

 

誠実さは相手の事を尊重しながらも自分の中の思いや考えを正直に伝える事だと思います。

 

 

その違いに気がつき、

経験的な理解を得る事が出来れば、

 

間違いを指摘するよりも赦しを実践するというのが容易くなると私は確信しております。

 

 

このブログを読んだ方々が、

何かの気づきを得て、

心の平和を取り戻せる事が出来ますように。。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 

モヤモヤくん 〜何度注意してもわからない人に対する苛立ち〜

うーん。なんか胸のあたりがモヤモヤする〜

 

「どうしたの?」

 

前にも注意したのに、また片付けが出来てないんだ!

 

「そっか」

 

また注意しないといけないと思うと胸がモヤモヤするんだ。

 

「そうなんだね・・・

なんで注意しないといけないと思うと胸がモヤモヤするの?」

 

 

だってさ、何度言ってもわかってくれないんだもん。

 

 

「何度言ってもわかってくれないと思ってるんだね」

 

そう!

別に僕が片付けても良いんだけどさ、それじゃあ僕の気持ちがわからないじゃん!

 

「そっか。

気持ちをわかってくれないからモヤモヤしてるんだね」

 

 

うん。だからどうやって伝えたらいいか悩んでるの。

 

 

 「ふむふむ。で、どうやって伝えたらいいと思う?」

 

前は感情を抑えてお願いしたからさ、あえて感情的になって言ってみようかな〜

 

 

「ふーん。それで問題は解消されるの?」

 

たぶん・・・

 

「そうなんだ。

申し訳ないけど、それじゃあ問題は解消されないと思うよ。」

 

なんで?

 

「感情的になって伝えても胸にシコリが残らない?」

 

たしかに…なんで胸にシコリが残るんだろう?

 

 

「それはきっと自分がなりたくない自分になっているからだよ。」

 

「だって、本当は指摘したくないでしょ?」

 

うん…

 

じゃあどうしたらいいのさ!

 

「そもそも何に対してそんなにいらいらしてるのかな?」

 

それは前にも注意したのに片付けてくれない事に対してだよ!

 

「・・・ほんとうにそう?」

 

他に何があるのさ!

 

「ちょっと会話を思い返してごらん」

 

「もう答えは出てるよ。」

 

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・自分の気持ちをわかってくれないから…?

 

 

「うん、そんな感じがする。だからモヤモヤしてるんだと思うよ。」

 

 

そっか。そういうことなのか。

問題を履き違えていたのか…

 

「うん、そうだね。だから感情的に反応していたんだよ」

 

 

なんかスッと胸のモヤモヤが抜けた感じがする。

 

「それはよかった!」

 

だけど片付けてくれない事に関してはどうしたらいいのかな?

 

「どうしたらいいと思う?」

 

うーん…

モヤモヤがなくなって、片付けてあげても良いかな?って思ってる。

 

ただ、後で片付けが出来ていなかった事は伝えるけどね。

 

「うん。それでいいと思う。

 

ここで大事なのは勢いのままに感情的になって伝えないように自分の気持ちを整理し、

 

そこからどうしたらいいか考えることなんだ。

 

「何度言ったらわかるの!」

 

って感情的になって伝えても、

お互いシコリが残るのと、

怒られたという印象だけが残ってしまい、同じ過ちを繰り返す可能性が高いからね。

 

先ずは自分の心を整理するのをおすすめするよ。」

 

わかった。ありがとう!

 

 

※この会話は自分の中にあるモヤモヤを目の前に置いて、自分と対話してみた内容です。

 

自分と同じような事で悩んでいる方が、何か気づきを与えられたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感情に流される人、感情を無視する人、そして・・・

突如として沸き上がってくる感情。

 

抗うことも出来ずに、

大きな津波に襲われたように一気に飲み込まれる。

 

 

 沸き上がって来なくても、

目に見えないだけで、

感情は心にさざ波を打っている。

 

 

 感情をコントロールすることは、

社会に適応するために

少しずつ上手になってくる。

 

 

一般的に

大人になっていくにつれて、

感情をむき出しにすることがタブーになっていく感じがする。

 

 

自分を抑えること=大人なんだろうか?

 

 

私はそうは思わない。

 

感情は人生を楽しむためにあるんだから、

自分を抑えてばかりいるとちっとも面白くないよ。

 

 

感情に蓋をしすぎて、

無感情状態を経験した人が言うんだから間違えないと思うよ。

 

 

どんな状態かと言うと、

ネガティヴな感情を察知したら、

すぐにポジティブな考えに変換するために頭を働かす状態だね。

 

 

ポジティブな考えはポジティブな状況や感情を引き起こしやすいけども、

 

ネガティブな感情を自分のものとして認めていない状態で

ポジティブに考えれば考えるほど、

心がフリーズして無感情になるんだ。

 

 

抵抗したままだと、

そのネガティブな感情は残ったまま。

 

ネガティブな感情を一度自分のものだと認めないと、

感情をコントロールすることは難しいんだ。

 

 

ただ、

一つ気をつけないといけないのは、

ネガティブな感情に入り浸らないこと。

 

 

認める事と、入り浸ることを混合しないように気をつけて欲しい。

 

 

 

川を想像してごらん。

 

 

入り浸っていると、

自分は川の中にいて流され溺れる。

 

 

逆に感情を無視した状態は、

ポジティブシンキングというオールも虚しく

船に乗ったまま下流に流されていく。

 

気がつかない内に浸水し、

最後は感情の渦に巻き込まれる可能性が高い。

 

 

感情に流されても、

無視して抵抗しても、

結局は下流に流されていく。

 

 

では、どうしたらいいのだろうか?

 

 

岸に降りて感情の川を眺めよう。

 

コツは沸き上がってくる嫌な感情に、

価値判断をつけないこと。

 

 

嫌な感情が引き起こす考えに同調せず、

それが川に流れていくイメージを持って流していく。

 

 

かまってちゃんだから

最後まで見送ることを忘れずに。

 

 

潜在意識の探求をして気づいた事

今回は先日探求した

 

  『潜在意識探求日記 〜私は村人A〜』

 

を探求しながら気がついた事と、その後の変化について書いてみようと思います。

 

潜在意識探求日記 〜私は村人A〜

https://blog.hatena.ne.jp/churaroom/churaroom.hatenablog.com/edit?entry=26006613722582184

 

 

私は去年の終わり頃に映画「キングダム」をみて、

 

そこから今日に至るまで映画、漫画、ゲーム、アニメとどっぷりとハマっています笑

 

「キングダム」を知らない人の為に簡単にあらすじを伝えます。

 

大まかに言って、キングダムは戦国時代の話で、下僕出身の主人公が天下の大将軍を目指す内容です。

 

 

戦を通して仲間を失いながらも夢に向かってどんどん成長して行く姿に胸が熱くなります笑

 

興味がある人は是非読んでみてくださいね!

 

 

さて、なぜキングダムの話を出したのかと言いますと、

 

実は潜在意識を探求する上でキングダムにのめり込んでいた理由が隠されていたからなんですね。

 

先日潜在意識を探求している時に辿り着いた

 

「村人A」

 

の私は、キングダムの主人公が心底羨ましかった。

 

困難を乗り越えて、どんどん成長していく主人公に感情移入し、

 

「自分もああゆう風になりたい」

 

と憧れている事に気がつきました。

 

 

もしかしたらキングダムを見て眠っていた意識が反応して先日取り扱った部分が顔を出したのかもしれません。

 

今の自分の身近にあるものや新しい事にチャレンジする時は過去の経験に何かしら影響を受けている可能性が大いにありますので、

 

何か行き詰まりを感じた時に自分に問いかけてみてはいかがでしょうか?

 

実際の所。

 

何が意識に影響してるかは誰にもわからないと思います。

 

もし、自己探求をし、自分の中での発見があっても理解されずに苦しくなる事がありますので、

 

他人の意見や同意は必要なく自分が腑に落ちる事が大事かと思います。

 

 

さて今度は潜在意識を探求してみて変わった事なんですが、

 

 

マッサージの仕事をしているとお客さんからお褒めの言葉を頂く機会が増えた感じがします笑

 

後、指名を頂く事が増えました。

 

自慢話に聞こえるかもしれませんが、事実です。

 

「自分は評価されるべきだ」

 

と思っていた時はどこかツンッとした雰囲気があって、

 

どこか

 

  「評価されるのが当然だ!」

 

と傲慢な態度が滲み出ていたのかもしれませんね。

 

 

もし傲慢な態度が滲み出ていたとしたら、

近寄り難いですよね。

 

「評価されるのが当然だ!」

 

と、信じているとしたら知らず知らずの内にバリアーを張って人を遠ざけていたんだと思います。

 

そう考えると、

 

全ては自分の責任だったんだときづかされました!

 

以上

 

潜在意識を探求して気づいた事でした。

交わる時

人と人が交わる時。

 

新しい価値観が生みだされる。

 

新しい価値観に抵抗すれば苦しみ、

新しい価値観を受け入れる事が出来れば変化していく。

 

 

そのような視点で見ると、

 

人と関わり続けるというのは

常に変化していく事だと思う。

 

 

変化するのが苦手な人は自分の中に留まり、

変化するのが好きな人はどんどん自分の外側に出て行く。

 

 

時折、

 

自分の中に留まりながら変化しようと四苦八苦する人を見かける。

 

ここでの自分の中にいるというのは、

自分の価値観や文化に固執する事ととして捉えて貰えるといい。

 

 

はたして、

 

自分の価値観や文化に固執している人が新しい価値観を受け容れて変化する事が出来るのだろうか?

 

 

そこに四苦八苦する原因があると私は思う。

 

 

いくら本を読んでも、

いくら成功者のセミナーにいっても、

自分の考えに固執している限り、

なにも変わらない。

 

 

変わったと思っても、

すぐに戻ってしまう。

 

ただ戻るだけでなく、

より一層自分の考えに固執するようになる可能性が高い。

 

 

別に自分を変えたいなんて思っていなくても、

 

人と人とが交わる機会は沢山ある。

 

例えば

 

職場に新しい人が来たり、

結婚したり、

子供が出来たりとね。

 

 

臨機応変に対応出来る人は良いんだけど、

 

そうじゃない人は

 

もう・・・

 

嫌になっちゃう!

 

嫌になってますます自分の殻に閉じこもってしまい、

 

「自分のことを誰も理解してくれない」

 

と心に鍵をしてしまう。

 

 

特に厄介なのは、

心に鍵をしたのを忘れて、

普通に生活してしまうこと。

 

 

新しい環境に飛び込んだワクワク感も、

付き合いたてのドキドキ感も、

忘れて生活してしまう。

 

 

刺激を求めて

旅行に行ったり、

ディズニーランドに行ったりしても、

 

 

夜になると、

次の日の仕事の事を考えて憂鬱になる。

 

 

娯楽は大事だし、

外に何かを求める事は大切だけども、

 

自分の殻の中にこもったままでは何も変化は訪れない。

 

 

一体どうやったら自分の殻から出られるのだろうか? 

 

私がオススメするのはなるべく無防備になって、

 

人と接すること。

じっくり話に耳を傾けること。

そして興味を持つこと。

 

 

長く連れ添えば連れ添うほど、

相手のことをわかったつもりになってしまう。

 

 

話を聞いているつもりでも、

相手とではなく、

自分の頭と会話していることがよくある。

 

そのことが言葉としてではなく、

経験として理解出来れば、

 

気がつかない内に変化は訪れる。

 

よかったらやってみてくださいね。